この実家、僕が終(しま)いますね。

二人の障害者と介護福祉士の生活

スリービルボードはいい映画でした。

今回近所のDVDレンタルで借りてきました。

ドラゴンボール超ブロリー

15時17分、パリ行き

「スリービルボード

この3本。

 

ドラゴンボールについては、もう訳分らん。

私は週刊少年ジャンプの頃から読んでいたので、ちょっとついていけなくなった。

今はVジャンプという雑誌で「超」がやっているんですよね。

その映画版。

原作のキャラクターやストーリーの近所をうろうろしながら、エンタメ性を上げているんですね。

ドラゴンボールは今や日本のおっさんのものでもなくなったし、まあこれはこれでいいかなと思います。

でも、物語としてはとてもよくできている作品なので、観てもそれなりに面白いですよ。おっさんも。

でも、ブロリーにこだわる必要があったのかは不明です。

 

次に借りた

15時17分、パリ行き」はクリントイーストウッド監督の作品ですね。

人間として不完全というレッテルを張られた子ども3人が、大人になって列車の乗客をテロから救い、勲章をもらうというストーリー。

ここでこんなことを書いたって、この作品の魅力は変わりません。

とても美しい作品だと思います。

多分スリービルボードを借りていなかったら、この作品について書きたかったところです。

で、問題の「スリービルボード

これはスラっとストーリーを書くと、

レイプされ、殺された娘の警察の捜査が全く進まない母親が三枚の大きな看板に警察の怠慢を書いて、市民がざわつきます。

警察署長が末期がんで自殺しますが、これは家族を思っての事。

しかし、この自殺で目覚めた元(その時は)警官が動き出します。

結果、犯人だと思われた人は犯人ではなかったが(ちょっとこの辺は伏線が張られていますので、解釈が分かれるかも)、動き出した警官が何気に聞いてしまったその犯人と思われた人の自慢話がレイプ関係であったこと。

とのことから、ビルボードとは関係ないが、こいつは同じ犯罪を犯しているには変わりない。と言い出す。

性犯罪を犯した人間がのうのうと生きているという問題に切り込んだ作品です。

犯人が見つからない母親の苛立ち、その矛先となった警察。

現実社会に戻れば、確かに犯人のわからない性犯罪は多い。

この作品では殺人まで絡んでいるが、レイプ被害者は訴えても法廷に呼び出されて証言させられ、セカンドレイプのようなことが起きるのが現代の法治。

レイプ犯にも人権があり、公平な裁判を受ける権利があるということだ。

自分の欲望を叶えるために、他人を巻き込んではならない。

私は勝手にそう思っている。

されたほうがたまったものではない。

 

私はこのように書いているが、

先ほども書いた、

自分の欲望のために関係他人に迷惑をかける行為

そのことについては、もう、無限大に話が膨らむし、その人の知識量にもよるだろう。

例えばストライキなどは、他人に迷惑をかけてしまう行為です。

賃上げ要求など、他人に迷惑をかけないと自分の要求が通らない時に実力行使として使いますよね。

権利と義務のバランスが悪い時、人はバランスを取ろうとして、行動をとることがあります。

もちろん性犯罪を犯した人間に権利などみじんもありません。

要するに

他人の意思に反して、力(暴力や脅迫など)によって身動きを取れなくし、自由を奪い、自分の好きにする。

なんだか、問題提起しかできません。

でも、この問題は多分永遠に続くと思います。

もし、この映画のように娘さんが亡くなったとして、犯人が極刑になったとしても、娘さんは帰ってこない。

法律では何ともならない、そんな感情を抱かせることが無いよう、

おれは、やらない

という人が末端まで広がってくれることを願った作品です。

人間は、不完全で、欲によって文化が発展してきました。

今、皆が便利に使っているインターネットだって、初めは軍事目的で開発されたものなんですね。

サッカーだって、初めは必要が罪人の首を蹴って遊んでいたことに由来します。

・・・・。

 

かっこいいことはできないけど、ゲスいことはしない。

そんな人たちと私は関わっていきたい。

カッコつけてるんじゃい!っていう人も居るだろうけど、一生で全人類に出会えるわけではないので、少なくとも私は、そうありたいと思っています。