この実家、僕が終(しま)いますね。

二人の障害者と介護福祉士の生活

国際結婚は難しいというのは刷り込み

突然ですが、私の奥さんはベトナム人です。

性格はキツいけど、心根が優しい人です。

年齢のわりにスラっとしていて、綺麗な方ですよ。

私は一度離婚しているので、もう結婚はいいかなと思っていましたが、彼女と話をするには通訳がいる時は通訳を介し、グーグル翻訳ができれば何となく話が通じる程度でした。

彼女は一度日本に来たことがあったので、少しだけ話せる日本語だけが頼りでした。

私がベトナムに行った際、本当に私のために一生懸命動いてくれて、感動しました。

 

その時思ったのは、「言葉は二の次」という事でした。

日本という日本語圏で教育を受け、働いてきた私にはこのことに気が付きませんでした。

はっきり言って、私は夢見る結婚生活という言葉はもうありません。

もう結婚はあまり好きではない(結婚という形式という意味)と今でも思っています。

他人を好きになって、結婚して、子供ができて、楽しく暮らすと言うのは、私には出来ない。

そのことに気が付いたんですね。

 

昔は許嫁(いいなずけ)という結婚形式がありました。

恋愛結婚ではなく、親が勝手に嫁さん候補を連れてきて、よくわからないけど二人で暮らすという結婚形式です。

 

恋愛結婚は結婚式の時がお互い幸せがピークですよね。

でも、許嫁って違うらしいんです。

当然ですよね、好きか嫌いか、どんな人かよくわからない人と、ある日から一緒に暮らすことを半ば強制されるわけなので。

 

まず、私には恋愛結婚はもう無理だろうと。思うわけです。

もう一度体験しているので。

どうなるのかわかるんですね。

 

それで、私はマインドを変えて、「とにかく何が起こっても大丈夫なようなマインドでいるためには、相手のことは、なるべく知らないほうがいいのではないか」と。

 

そして、何より「自分が幸せであればそれでよい」と。

自分が幸せでいる時は、誰かの世話をしている時なので、とにかく自分の責任のとれる範囲で、世話をさせてくれる女性が居たら、いいな~と漠然と思うようになったんですね。

 

でも、これにははっきりと条件がありまして。

①私のお金は私が絶対管理する。

②食事、居場所は無料だけど、欲しいものがあれば、自分で働いて買う事。

③その代わり、相手には干渉しない。

この三つで、あとは、第一印象です。

この人のお世話をしたいと思うか、どうか、です。

 

例え日本人でもこのように思える人が居るのかもしれませんが、外国人と結婚する事と、日本人と結婚するということに関して、メリットが明らかに外国人の方が高いと私には思えました。

理由は多々ありますが、日本人として結構な年を重ねてきて、海外旅行などを行ってみると、日本人と話すことが、「これ言うと、こう言うんだろうな~」と思う答えが返ってくるのが本当に嫌になってきていたんですね。

だったら、思いっきり、どんな答えが返ってくるのかわからないほうが、神秘的です。

コマは揃ったので、あとは続けることだと言うことで、先の三つをとにかく守り、お世話をすることに重点を置いて一緒に暮らしています。

 

私は両親の介護という世話をしながら、新たにお世話をする人に来てもらったのだから、世話をするのが好きなんでしょう。

でも、心はいつも一人で居ます。

こんなことを言うと、結婚した意味ないじゃんって言われますが、そうじゃないんですね。

基本的に人は生まれるのも一人、死ぬのも一人なんですよね。

奥さんも含め、一定の距離を保ちつつ、自分のテリトリーは誰も入らせない方が、性に合っているのだと思います。

このことを他人に勧めたいとか一切思ってませんが、このメンタルだと、他人に期待しないので、怒ることが無くなります。

それに、自分の好きなことは好きなだけ続けられます。

外国の方を選んだのは、毎日外国居るような気分に少しだけなれるし、先の三つを続けるうちに何となく、友情のような信頼風のようなものがあるようで、ないようで、それもいい感じなんですね。

友情も信頼もこの世にはないと思っていて、言葉が先にあるだけで、相手のことは絶対に自分にはわからないので。

 

言葉が上手に伝わらないのも、私には丁度いいです。

高い食べ物や、商品が欲しいと言われるときも、笑って背を向けるだけ。

相手は言葉が通じなかったと諦めるけど、その後はいつもの質素な夕食をニコニコして食べる。

お世話をしているのだから、サボってはだめです。

とにかく、腹が減ったとか、不潔とか厚い寒いが無いとか、そのお世話をし続けると、自分が幸せになるんですね。

 

実は、そこにはもはや性別はおろか、生命を愛おしむというものに近い感じになるんです。

お金もそんなにかかりませんよ。

おなじ食事を一緒にしているだけなので、素材費だけです。

 

彼女が急に私はベトナムに帰ると言っても、「そうですか」というだけです。

彼女にとって、ベトナムの方が自分に合っているのであれば、それがいいと思うだけです。

人には過ごしやすい気候、文化があります。

寂しくないわけではないし、離婚するつもりもありません。

私の奥さんはベトナムで元気に暮らしていると思うだけで、私のやる事は、何も変わらないです。

いつもと同じことをやるだけです。

 

表題に戻りますが、「国際結婚は難しい」というのは、日本人との方が、コミュニケーションがとりやすく、車の前で子供真ん中で両手をもって、はいパチリ!

みたいなステレオタイプの人には確かに難しいと思います。

でも、今は男性が男性と、女性が女性と、年齢がとても離れた結婚などを世間的に知られてきて、ステレオタイプが崩れつつあります。

それに対して、なんで?っていう人が増えてきたのは、私にとってはうれしいことです。

少数であることに満足感を得ているのではなく、自分が幸せであるために、一緒に居るという考えが少しでもわかっていただければ、多分国際結婚でも、年が離れていても、もしかしたら、人でなくても、うまくいくのかもしれません。