この実家、僕が終(しま)いますね。

二人の障害者と介護福祉士の生活

福祉の仕事のはなし

 私は介護福祉士になる前に10年ほど現場で働いていました。

今年で46歳になるのですが、三流大学の経済学部を卒業し、公務員試験を受けるも失敗。

途方に暮れ、学生課に行くと、地元で老人保健施設の求人を発見し、応募し面接したところ、見事採用され、介護デビューとなりました。

そもそも私は長男なので、親の面倒をいつかは見るかな~っとなんとなく思っていたのは事実でした。

5年くらいそこでやっていたのですが、単純な仕事に飽きていたのと、別の仕事もしてみたいと思っていたところに「カバチタレ」という漫画と出会い、行政書士って面白いかもって思って、先に会社を辞めました。

ただ、行政書士の事務員の募集ってハローワークにないんですね。

どうしたのかというと、電話帳を上から順番に電話し、どうか雇ってくださいと自分を売り込みました。

今考えると非常に無鉄砲な行為だったなと思いますが、結果的に行政書士事務所に入ることができました。

この辺りから福祉から遠ざかる人生を15年ほど経過することになります。

大学卒業して5年経過して27歳。

そこから15年間は介護から全く違う業界で自営業を行っていました。

結婚していたのですが、とある理由で、離婚し、頭真っ白のまま、そのころ福島原発の事故により多くのボランティアを募集していたので、借家を返して単身福島へ行きました。

道路の除染から、農地の除染、警備員といろいろなボランティアを経験し、最後に福島県内のグループホームで少しだけボランティアをして地元に帰ってきました。

地元に帰ってくると、前の奥さんや子供のことが忘れられず、実家に帰る事ができず、同じ市内で介護士として入寮して2年働きつつ、福祉の仕事に終止符を打つため、介護福祉士の資格を取得しました。

でも、次に就職したのも社会福祉法人でした。

そこは障碍者福祉施設で、相談員という初めての仕事でした。

愛知県が募集した生活困窮者自立支援事業の相談員と、愛知県子どもの学習支援の相談員でした。

2年やりましたが、大きな法人(まあ、日本の会社ってほぼそうなのですが)って、人事ってあるんですね。来年はどこの部署に行くのかわからない。というやつです。

そうなると、今の仕事でめちゃめちゃ勉強したって、来年は全く別の仕事をしているかもしれない。

そう思ったら、今やっている仕事の集中力が無くなっていくのを感じたんですね。

それと、年齢です。

今年46歳で、当時の手取りが166,000円。

家に帰ってきてぐったりで、福祉業界にありがちなボランティア活動も土日に入ってきたりします。

先輩たちを見ても給料は200000円前後。

そこで福祉の業界を客観的に見て、「伸びない」と感じたのです。

皆口をそろえて「給料が安い」と言いますが、それはそうです。

社会保障費がだんだん削られてきて、末端に回ってくる金が増えるわけがないです。

給料は上げるべきだというブログもよく見かけますが、それには税金を上げ、使い道を限定しないといけない。

そんな大きな話ってできますか?できないですよね。

政府は外国人に安い労働力として介護分野を入れました。

頭打ちですから、この給与で働きない人は外国の人に働いてもらうから、日本人はやめてくださいと言っています。

介護をしていた実績は無駄にはなりませんが、残念ながら有望なスキルにはなっていきません。

どうしても介護という仕事に居続けたいのであれば、外国の人に「教育」するという仕事を探すべでしょう。