この実家、僕が終(しま)いますね。

二人の障害者と介護福祉士の生活

子どもの貧困について、福祉の枠で捉えてはならない

愛知県が、このようなシンポジウムを開催する。

www.pref.aichi.jp

私は、2年間学習支援コーディネーターとして活動したが、子どもは大人が思っている以上に社会的だということです。

福祉の人の悪い癖で、「困っている人を助けないといけない」とか、「傍から見ていてかわいそう。実力が無いから這い上がれない。」とかいって近づいてくる。

子どもは行動力がある。

だから、しがらみだらけの大人が捉えられるわけはない。

必要なのは、太陽だと思う。

直接の支援など必要ない。

友人の家でご飯を奢ってもらうこともできるし、地域がその子を支える。

もしかしたら、万引きでもして、欲望を満たすのかもしれない。

それで警察に補導されて、怒られる。

私はそれでいいと思っている。

要するに福祉など子どもの前ではうっとうしい蜘蛛の巣と一緒で、勢いが付いた子どもの顔にまとわりつく何の力もないただの邪魔な存在だということだ。

子どもに必要なのは遠くに光る大きな太陽なのだ。

この鬱蒼とした人間社会ジャングルにおいて、目指す方向を示してくれる存在が必要なのだ。

 

この先の未来。

つまり、今の小学生や中学生が社会に出ていくのは10年後。

その10年後の社会を考える大人は政治家にもいない。

福祉を先導していると思われる公務員だって、10年後は部署異動でもう居ないか、辞めている。

NPOです。子供にやさしくします。

なんて言ったって、子どもは尊敬しない。

頭がいいから、その場を凌ぐだけ。

大人なんか全員馬鹿だと思っている。

子どもに必要な先生は学校の先生ではない。

①金持ちの大人

②事業家の大人

③世界中を旅行してきた大人

④先を見通せる大人

以上、4人の言うことなら聞くだろう。

 

子供とはがっつり向き合ってはならない。

例えば、同じ方向を向いて座るか、はす向かいに座って話を始めなければならん。

私などそもそも相手にしていない。

恰も「私はあなたのことが心配なの!」とかいう意味不明な態度など無効だ。

 

こちらの基本姿勢は

「やりたきゃ、やればいいじゃん」

というスタンスが重要だ。

 

その子の持つ欲望こそが個性なのだから。

 

社会に照らして反していれば、警察から怒られる。

怒るのは親でもいいが、親の言うことなど子どもは聞かない。

なぜなら、明日も家に帰ってくる必要があるし、ご飯も食べなければならない。

だから、わかったように調子を合わせるだけで、なんの効果もないことを親は知っておく必要がある。

 

件名にの回収をするが、

子どもの貧困について、福祉の枠で捉えてはならない

というのは、福祉とは何なのかというところから始めなければならない。

そもそも福祉など、人は全員持っている。

そんな専門職など先進国では必要ないとさえ思っている。

 

どんな仕事をしている人だって、一時的な優しさは持っている。

私はポケットに入るくらいの福祉がちょうどいいと思っている。

それが集まれば、この世から福祉という言葉は消滅する。

大人から見れば、子どもは未来の社会を支える大きな資源だ。

税金をいっぱい払ってくれる子供がたくさんいたほうがいい。

それがまずの答え。

しかし、それを言わずに、そっちに連れて行こうとするから、子どもは怖がる。

太陽を示さず、ただ、目先の事ばかり言っている大人を子どもは警戒する。

子どもは本当のことが欲しいのだ。

大きな人間を見たいのだ。

人間の可能性の外枠ギリギリで生きている人間を見たとき、人は心打たれる。

それは子供も同じだ。

大人の心を打つ人は子どもの心も打つ。

しかし、子どもの心を打つ仕組みを福祉専門家が作っても、子どもの心を打つことはない。

 

 

子どもが置かれている環境は異常事態だと考える。

信じる人からの裏切り、虐待 ドラッグ 売春。

そして、それを監視する機能を持つ児童相談所は県にある。

その同じ県がこのようなシンポジウムを行っている。

それに喜んでパネリストとして参加している大人。

 

何なんだ、この国は。

福祉という名のマスターベーションをいつまで続ける気だ。

 

この世から福祉などという言葉が無くなればいい。

子どものミスリードを行っているのが、大人そのものなのだから。

残念なことに貧困を抱える子供の周りには、本当に心配してくれる大人など存在しないことを、貧困を抱える子供たちはもう知っている。